歯ブラシの名称

今では当たり前のようにそう呼んでいる「歯ブラシ」という呼称も、明治時代にはマイナーな呼び方でした。当時は西洋歯ブラシの存在も知られるようになっていましたが、依然として「楊枝」と呼ばれていたのです。ただ構造は西洋歯ブラシと同様のものを使っていました。これを裏付けるのが、明治時代に催された内国勧業博覧会に関する記録です。それによれば、博覧会に出品された歯ブラシは「横楊枝」と名付けられていました。その博覧会が影響したかは定かではありませんが、大正時代に差し掛かる頃から徐々に西洋歯ブラシが量産されるようになり、名称も「楊枝」から変化していきました。歯ブラシという名称が定着し始めると、西洋に倣って豪華な造りのブラシも製造されるようになりました。例えば象牙や牛骨が材料として使用されたこともありました。ただこの頃はまだ現代の歯ブラシとは細かな造りを異にするものだったと言われています。さて、歯ブラシの歴史をもう少し深く探ってみましょう。世界的には、柄部と植毛部から成るあの形態の歯ブラシが使われ始めたのは10世紀だとされます。中国の遺跡で発見されたものがそれで、西洋も同時期に同じ形態の歯ブラシを使用していたかどうかは分かりません。因みに西洋で歯ブラシの存在を確認できるのは17世紀以降のことであり、それ以前の歯磨き文化は謎に包まれています。日本でも近代以前にどのように磨いていたのかは定かではなく、歴史家の解明が待たれるところです。では日本で歯ブラシの本格的な製造が始まった頃、メーカーは何を契機に生産を決意したのでしょうか。歯ブラシ製造の背景に西洋文化の流入があったことは間違いありません。当時の日本人がどのように感化されたのかは分かりませんが、そもそも江戸時代までブラシの文化自体が無かったことから、維新政府が積極的に商人に働きかけ、木製のブラシを制作させたことが契機になったと考えられます。つまりブラシそのものの開発が始まったことで、歯ブラシもまた量産の対象になったのです。量産が始まってすぐにブラシの文化に慣れたわけではなく、多くの日本人は試行錯誤を繰り返しながら洋式化を推し進めていきました。ブラシを心から必需品だと考えられるようになるには数十年を要したのです。

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